いま政治がなすべきこと
週末、地元に戻ると年金記録の問題で質問を受けます。「年金をすでにもらっている我々はまだいいけど、これから年金をもらう息子たちのために、なんとかしてほしい」「大臣も役所も、なんだか保身をしているとしか思えない。非常に腹が立ってくる」などなど。国民に一番身近な年金の問題だけに、関心が高い。
日曜日も朝、出掛けにテレビを観ていたら、各党の政治家が揃い踏みで出演し、侃々諤々の議論をしていましたが、相手の話がまだ途中でも、どんどん割り込んで、発言をさえぎり(テレビ討論でよくやる手法ですが)、聞いていると、何を議論しているのかわからなくなり、全く建設的な結論に達せず、すべてが中途半端で終わる。私自身も、そういう番組に出演した経験はありますが、私が観ていても、こいつら国民のことを考えてるのか、自分のことしか考えてないんじゃないか、と思ってしまいました。
もちろん、年金記録の問題は大きな問題であり、その解決策を議論することは大切で、かつ政府の姿勢、やり方を批判することも必要ですが、現状は参院選を前に、政局の潮目が変わったことを最大限、利用しようとする政治力学が働きすぎて、問題を解決することよりも、国民の不安を煽り、混乱させ、解決を先延ばししようとする力の方が強いようです。
民主党が先日、この問題で大々的に新聞広告を打ちましたが、その中の「年金が支給されていない1900万件」とか「年金記録そのものが消失した可能性のある100万件」とか、明らかに誇大な数字の羅列で、事実と推測が入り混じった、いたずらに国民の不安を煽る手法を使って、政府を攻撃しています。
こうした状況の中で、いま政治がなすべき事は何かを考えさせられます。真に国民が期待していることは何か。それはまず、年金記録の実態を明らかにし、国民に不利益が生じないように、正確な年金記録を、できるだけ早く完成させること。また、なぜこのような、いい加減な結果が発生したのか、その原因をきちんと検証すること。さらには、このような事態に至った責任の所在をはっきりさせること、この3点だと思います。しかも年金受給者は年配の方々ですから、記録の修正はスピードを要します。社会保険庁や市町村にある膨大な紙やマイクロフィルムの記録の精査は、社会保険庁の職員だけでやったのでは、いつ終わるかわかりません。厳しい守秘義務を課した上で、こうしたデータ処理を得意とする民間の業者のマンパワーを活用することも考えるべきです。
また責任問題も、基礎年金番号導入を決めた時の厚生大臣は菅直人だ、いや実際に導入した時は小泉純一郎だと批判合戦になっていますが、国民から見れば歴代の厚生(労働)大臣、社会保険庁長官、さらには首相、いや国会議員、与野党問わず、みんな責任があると見ているはずです。忘れているかも知れませんが、菅大臣の時は「自社さ政権」で、今の社民党も政権与党だったんですよ。これほど杜撰な年金記録問題が明らかになったいま、政治がなすべきは、これを非常事態として、政治力を結集して国民の不安解消に努めることではないでしょうか。たまたま目にした作詞家の阿久悠さんの文章(6月9日・産経新聞)。
『国会が乱れている。国会が乱れているということは、国全体が乱れているということである。主権者であるとされている国民は、国会が乱れてくると、誰もが困ったものだと議員たちを責めるが、その議員たちを自分が選んだ反省を口にする人はいない』『国会が不謹慎と思えるくらいはしゃいでいる。(中略)誰のためでもなく、目立つところでミコシを担ぎ、どうです、やっていたでしょうという証明にするためとしか思えない。(中略)何が何でも対立しなければならないものではなく、事によっては、知恵を出し合うということも必要である。一時休戦しての建設もなくてはならないであろう』
いま政治が緊急になすべきことを痛感する日々です。
[ 2007年06月11日 ]
記事のインデックスに戻る