「上田はずし」の波紋
北海道新聞がまたまた上田市政のアシストをしています。けさ(4月19日)の道新朝刊に「上田嫌い、度量狭い」「市民らから疑問の声も」の見出しで、17日の高橋知事のサミット誘致要請活動への参加を上田市長が断られたことを取り上げ、「不参加の背景には、自民党関係者の反発があることについて、市役所内や市民からは『度量が狭すぎる』との声が出ている」と批判の矛先を自民党に向け、世論誘導を試みています。
ことの真相は、知事選、市長選の投票日から10日も経っていない段階で、しかも「はるみ&まさと」でガンガン選挙をした直後に、今度は高橋知事と上田市長がそろって中央要請するのは避けたいとの知事の判断から、道と市が調整して副市長が参加することにしたものです。札幌市の幹部も、清治真人氏が地元でお礼のご挨拶回りをしている段階で、市長が知事と共同行動をとるのは失礼になりますね、と理解を示していました。つまりは今回の「上田はずし」は選挙から日が経っていないから、常識的な判断で遠慮してほしい、ということ。一連の判断に、自民党は介在していません。
もちろん、上田市長サイドは、市民の圧倒的な支持を得た今こそ、中央におけるこれまでの「日陰者」扱いから脱却したいと目論んでいたのは当然です。しかしあれだけの激しい選挙を戦った直後に、上田氏が自民党の幹事長や政調会長にサミット誘致を要請したら、効果があるのかどうかも考えなければなりません。高橋知事の判断は極めて常識的です。そんな関係者の配慮を知ってか知らずか、道新は「上田はずし」を攻撃し、自民党を批判する市民の声を巧みに援用して(新聞がよくやる手法)、一連の動きに介在していない自民党を悪者に仕立て上げて、上田市長を悲劇にヒーローにし、今後、「上田はずし」をしたら承知しないぞ、との論調を展開して、上田市政をサポートしています。
思い出すのは昭和58年、横路知事が誕生した時のことです。当時も自民党は推薦候補を強力に推して、激しい選挙を戦いましたが、結果は横路道政がスタート。当時の道議会自民党の幹部は「道民は議会では自民党を多数にしたが、知事は横路さんを選んだ。その厳粛な事実を前提に、自民党は横路道政に是々非々で臨む」と宣言し、野党ではあるが、予算には賛成する「責任野党」の道を選びました。それに応えるかのように、横路知事も「静かなる船出」と称して、極めて現実的な、自民党をあまり刺激しない道政運営を心掛けていました。しかし結局、静かなまま終わった、成果に乏しい道政でしたが。
一方、上田市長の場合は、日の丸、君が代、自衛隊の否定という、首長としては根本的な欠陥をかかえ、自民党としては支えようがない、厄介な存在です。今回の選挙でも、我々は「上田市政にレッドカードを」と戦いました。選挙の結果をふまえて、上田市長との関係を直ちに軌道修正をすることも無理があります。
しかし上田市長との関係について、このままではまずいなと、自民党関係者が考えているのも事実です。それにはまず、上田市長との意思疎通を図ることが第一歩でしょう。また態度を変えてもらわなければならない点も多々あります。1期目のように、最初は北海道新幹線について全く消極的だったのに、着工したら急に積極的になる、というような姿勢では、信頼されません。国民の安全を守る自衛隊に敬意を払わず、自衛隊の行事には出席しないのに、雪まつりの雪像制作だけは、自衛隊にお願いするような、虫のいい姿勢では首長失格です。
しかし札幌市民は圧倒的に上田氏を支持した。私にとっては信じられないことですが、事実です。自民党は中央では政権与党、札幌市政では野党です。政権与党として札幌市民の生活を守る責任と、市政野党として上田市政を追及していく役割があります。そのねじれに困惑していますが、上田市長との間合いの取り方の解決には、もう少し時間が必要だと感じています。
[ 2007年04月19日 ]
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