池田晶子さんの訃報
先日、新聞を何気なく読んでいたら、哲学者の池田晶子さんの訃報が目に飛び込んできました。46歳。池田さんは最近でも著作を次々に発表し、週刊誌にも連載コラムを書き続けていましたから、この若さで亡くなるということが信じられませんでした。昨年、腎臓がんの手術を受けたことも知りませんでした。
私が初めて読んだ池田さんの本は「新・考えるヒント」で、3年前のことです。「考えるヒント」は評論家の小林秀雄が昭和30年代に文芸春秋に連載したエッセイをまとめた本で、小林を敬愛する池田さんは、小林本の各章タイトルまでなぞりながら、小林の文章を巧みに引用し、引用文と自らの文をクロスさせながら、様々なテーマについて縦横に語り続けます。
「どうやら私は、あなたに一体化しすぎてしまったみたいです。私の言葉か、あなたの言葉か判然としなくなるという快感、合体の恍惚感」。
その後、池田さんのインタビュー記事を新聞で見てびっくり。美人!しかも一日の仕事を終えて、夜は大好きなビールを堪能する生活。あわてて書店に行き、そこにあった池田さんの本をすべて買った記憶があります。多くの池田本の巻末かカバーに、池田さんの写真が載っていました。この美貌で、男性的な力強い論理展開の文章を書く池田さんに、すっかり心酔してしまいました。
「多くの人が間違えているのは、哲学は何かを説明するものだと思っていることです。説明は何かを言うことだが、哲学は何も言ってはいない。たいていの哲学論文、評論文がつまらないのは、まさしくそれが説明であるからで、本物の哲学者によって書かれた本物の論文を読んでみるなら、それは一目瞭然だ。カントやヘーゲルも、なるほど学術論文の形式によって語りはしましたが、史上あまたの哲学論文があえなく消え去っても、なぜ彼らのものだけは決してなくなることがないのか。それが彼らの肉声であるからだ。作品であるからだ。説明は、いかに巧みでも、人の心に触れないが、肉声は、理解を越えて、人の心に届くのです」(一部、省略)
もう少し文章が整っていれば、これは小林秀雄の文章だと言っても、おかしくない。池田さんは自らを文筆家と名乗っていましたが、私は彼女を哲学エッセイストと呼びたい。哲学者とはいえないが、池田さんは考えるということ、人生のなぞについて、死の直前まで、懇々と諭すように啓蒙し続けてきた孤高の存在だったと思います。池田さんの代表作といえる「14歳からの哲学」の最後に、こんなくだりがあります。
「『存在する』ということは、奇跡だ。存在する限りのあらゆることが奇跡であり、したがって謎なのだという絶対の真理を手放さないのであれば、君は、これからの人生、この世の中で、いろんなことがあるけれども、悩まずに考えていくことができるはずだ。そのためにこそ、人間には、考える精神があるんだ」
「真理は、君がそれについて考えている謎としての真理は、いいかい、他でもない、君自身なんだ。君が、真理なんだ。はっきりと思い出すために、しっかりと感じ、そして、考えるんだ」
美しい池田さんに一度会いたい。そして一緒にビールを飲みたいと思い続けてきましたが、それも叶わなくなりました。今度は池田さんの本を読みながら、ビールを飲むことにします。合掌。
[ 2007年03月14日 ]
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