あるある!放送法改正
自民党に通信・放送産業高度化小委員会という委員会があり、私の出身である放送分野の政策について議論しています。おととしから、放送の改革について活発な議論を続けていますが、そんな折、関西テレビ制作の番組で、事実と異なる内容を放送した捏造事件が発覚しました。
私が初当選した平成8年以来、放送分野では、正に間欠泉のように、しばしば不祥事が発生し、そのたびに放送倫理の問題や放送法との関連が議論の対象になり、政治の側から放送批判が繰り返されてきました。国民の資源を使う放送事業は放送法や電波法が根拠になっており、公平性の確保や真実の報道が義務付けられています。新聞や雑誌メディアも当然、そうした報道倫理が求められていますが、放送は認可事業でもあり、監督官庁や政治との関係がより微妙なものになっています。政治家も、普段は批判される側ですが、放送局になにかあれば、日ごろの敵討ちとばかりに、力が入ります。
本日開かれた通信・放送産業高度化小委には、関西テレビの千草宗一郎社長が呼ばれ、一連の捏造事件について説明をしましたが、お詫び、お詫びの連続で、報道機関のトップとしての見識や矜持は微塵も感じられませんでした。捏造の原因についても色々と報告がありましたが、私はやはり現場スタッフの職業倫理の欠如、つまり事実を追求する姿勢が、決定的に欠けていたことと、下請け、孫請け任せで、内部のチェック機能がほとんど働いていないことがあると思います。
その背景には、放送の手法において、なんでも面白ければいい、面白く加工しなければだめだという風潮の呪縛があるのではないか。最近はニュースの分野でも、おちゃらけで処理するケースが増えていますが、先日もテレビを見ていたら、安倍首相が殉職警官を弔問したニュースで、字幕とコメントで「こんな人もやってきた」と首相を揶揄していました。私はあぜんとしました。一国の首相が国民を代表して殉職警官に弔意を表したことまで、おちゃらけにしてしまう神経。基本的な倫理観は吹き飛んで、とにかくおもしろ、おかしく見せようという意識。こうした現象が放送界全体を覆い尽くしているようです。
不祥事が起きると、放送局の社長が陳謝し、改善策を作り、一時、反省するものの、放送人はすぐに問題を忘れ、またまた同じパターンの無責任体制が復活する。これがこれまで繰り返されてきたことです。今後もおそらく同じパターンでしょう。放送は娯楽であり、視聴率至上主義、営利主義が基本であり、おもしろければいいという精神がはびこる限り、事態は変わらないでしょう。
そこで今回、監督官庁である総務省は、放送局が虚偽の放送をした場合、再発防止計画の提出を求める放送法の改正案をまとめました。いままで放送法違反に対する国の措置としては、電波の停止や免許取り消しといった「極刑」の行政処分か、さもなくば警告、厳重注意、注意といったマイルドな行政指導の両極端の措置しかありませんでした。菅総務大臣も、その中間的な処分の規定が必要だと主張し、今回の再発防止計画の提出という措置を行政処分のひとつとして提案しました。
この新たな処分案について、当然、表現の自由、報道の自由に対する国家権力の介入だとの批判が出てきます。私も出来れば、こうした措置がないことが理想だと思いますし、こうした不祥事が発生した時を利用するような形で、法改正がなされる危険性も感じます。しかし放送界の不祥事の歴史、放送人の意識、現在の低劣な番組群に鑑みれば、今回の措置は致し方ないと思う。放送界の自業自得と認識します。放送界出身者としては、真に情けない事態ですが、放送界が表現の自由という至上の権利を、堂々と主張できる健全性を一日も早く回復することを祈るばかりです。
[ 2007年02月21日 ]
記事のインデックスに戻る