「それが私の心だ」
7月20日、日経新聞のスクープ。昭和天皇の発言メモが衝撃を与えています。靖国神社のA級戦犯合祀に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と、当時の富田宮内庁長官に語っていたことが明らかになりました。時あたかも、終戦記念日を間近に控え、小泉首相の靖国参拝が取りざたされている。また9月には自民党総裁選が予定され、靖国問題が何かと争点になっている、そんな絶妙のタイミングで、この発言メモが公になりました。
まずは、このメモの真偽、そしてこの時期に公表された政治的思惑も考えなければならないでしょう。またそもそも、天皇の側近たる者、天皇の言葉を記録することはまかりならん、との意見もあります。天皇に内奏する閣僚も、天皇との会話、天皇からの質問等は一切、他言できない決まりになっています。それだけ天皇の政治に関わる発言はデリケートであり、個人的メモであっても、公表されれば、それが一人歩きし、政治的に利用されることになるのは必定です。まして、靖国神社のA級戦犯合祀を昭和天皇が明確に否定したとなると、元々A級戦犯の合祀や首相の靖国参拝に反対の勢力は、それこそ「鬼の首」でも取ったように、勢いづくでしょう。昭和天皇が靖国神社に参拝しなくなった理由については、これまで憶測で色々と語られてきましたが、このメモが真正であるとすると、その理由はA級戦犯の合祀にあることがはっきりしました。
ここで問題が複雑なのは、昭和天皇ご自身が、明治憲法上は主権者であり、大元帥であったという点です。立場的にはA級戦犯の上に存在していた。昭和天皇は自身の責任も深く考えておられた方です。同時に、戦時中の政策決定においては、立憲君主という立場を堅守し、直接の政治介入を極力控えていたことも知られています。ですから昭和天皇とA級戦犯と呼ばれる戦争指導者の関係は、極めて微妙なものです。A級戦犯が祀られる靖国を参拝しないのは、自らの責任を自覚する昭和天皇のけじめだったと私は思います。
今回のメモでは、A級が合祀されたから私は参拝を止めた、とシンプルな形での感情の吐露があり、より複雑な思いはうかがえませんが、その言葉の背後に、戦争の責任を深刻に受けとめる昭和天皇の思いが、崩御の直前まで続いていたことが伝わってきます。
今回のメモは、昭和天皇の肉声を伝える一級の歴史資料です。そしてこの発言を声高に政治利用するのではなく、激動の時代を生きた昭和天皇の思いを、静かに忖度することが大事です。私はやはりA級戦犯を合祀した、当時の靖国神社の宮司の判断(昭和天皇も厳しく批判している)は間違いだったと思います。東京裁判をどうとらえるかにもよりますが、戦争犯罪は裁判と刑の執行によってけりがつきますが、戦争責任は歴史が続く限り残る。最高の戦争責任者が祭神として祀られることは不合理です。仮に東京裁判を否定しても、日本人として先の戦争をどう総括するのか。その責任追及を東京裁判に委ね、日本人は自らで戦争を総括しなかったことが、議論を混乱させている最大の原因と思います。
たまたま最近読んだ小林よしのり氏の近著「いわゆるA級戦犯」でも、東京裁判の理不尽さ、A級戦犯選びのいい加減さ、昭和28年には国会で「もはや日本にはA級戦犯などいないのであって、彼らは国内法においては犯罪者ではない」とされた事実などが詳しく語られています。すべてその通りだと思います。一方で、日本が独立を回復するために、東京裁判の結果を受け入れた事実は、いまさら否定のしようがない。それを否定したら、歴史の改ざんになってしまう。東京裁判を否定し、A級戦犯という概念自体を否定しても、先の戦争によって内外の多くの人々が犠牲となり、甚大な被害を与えた事実と結果責任は否定のしようがありません。同様に、東京裁判があったことも歴史だし、A級戦犯の合祀も歴史的事実です。
では靖国問題はどう解決するのか、と問われれば、それは宗教法人であるために、政治的解決は難しいと認めざるをえません。みんなそこで立ち止まってしまいます。私自身は靖国神社に時々参拝します。国のためにたおれた方々を慰霊するのは政治家の務めでもあります。しかし今回、昭和天皇の肉声に接し、その判断は極めて重いものであることを痛感し、靖国問題の根深さ、難しさを改めて感じています。
[ 2006年07月25日 ]
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