エド・マロー伝説
映画はめったに観ないけど、昨夜、自民党の映画議連(なんでも議連があるんだなあ)の試写会があり、これだけは観たいと思っていた映画「グッドナイト&グッドラック」が上映されると聞いて、行って来ました。 映画の主人公は米CBSの伝説のニュースキャスターであるエド・マロー。マローについては、ニュースキャスターのはしくれであった私も、彼の伝記を読んで、その存在は知っていました。1950年代のアメリカで「赤狩り」と呼ばれた、共産主義者弾圧のマッカーシズムに、言論で敢然と挑戦したテレビ・ヒーローとして知られ、後年、アメリカの歴史を変えた50人の一人に選ばれています。「グッドナイト&グッドラック」は番組を締めくくる彼の常套句です。
エド・マローを演ずる主演のデヴィッド・ストラザーンの演技がすごい。「アメリカは世界において、自由の旗手であるが、国内において自由をないがしろにしてはならない」。マローの精神が乗り移ったような、力強く、的確で、冷静なキャスター・コメント。日本のニュースで観る、例えば筑紫哲也氏の、どこかニヒルで、床屋政談のような気の抜けたコメントとは全然違う、迫真力があります。
このようにマローは、放送ジャーナリズムの存在を追求した人物でしたが、その権力と対峙する徹底した姿勢が、やがて商業放送の経営陣から煙たがられ、番組編成が娯楽路線へと流れていく中で、マローが担当した番組は打ち切られてしまいます。
番組終了後、ある会合でマローは、テレビ・ジャーナリズムの退廃を憂えるスピーチをします。「今のテレビは、退廃と逃避だらけだ。テレビは人を欺き、笑わせ、現実を隠している。それに気づかなければ、スポンサーも視聴者も制作者も後悔するだろう」
「このままなら、テレビは単に配線と真空管が詰まった箱でしかない」。
この「配線と真空管が詰まった箱(Box of lights and wires)」という言葉はその後長く、語り継がれることになります。そして映画はマローの定番「グッドナイト&グッドラック」の言葉で終わります。放送業界への遺言のように。
この映画を観ていて、これは50年代のアメリカの話だけれど、どうも現代の日本にも通じる話だと思いました。ひとつは日本の政治の世界でも、マッカーシズムの時代につながるような、冷静な、本質的議論なき政治混乱が続いていること。もうひとつは、文字通り、日本のメディアの「退廃と逃避」です。ちょっとした噂の類で、人を共産主義シンパに仕立てて糾弾した「赤狩り」の恐怖政治と同様に、金目当ての偽メールを鵜呑みにする浅はかな国会議員が存在する現実。テレビを見れば、芸なき芸人がばか騒ぎするバラエティー番組のオンパレード。そんな日本の現実の中で、久しぶりに観た映画の、エド・マローの肺腑をえぐるような言葉が、鮮烈に耳に残りました。
(追記)
月刊誌「諸君」の5月号を読んでいたら、中西輝政・京大教授の連載「国家情報論」の15回目に「マッカーシーは正しかった」という論文が載っていました。マッカーシーについて、最後に少し触れただけで、詳しくは次号でとのこと。中西教授曰く「1950年代のアメリカで『赤狩り』と揶揄されたマッカーシー上院議員の多くの指摘は殆ど全て正しい告発だったことが、この十年間の情報史料の公開によって確証されたのである。(中略)この新事実にほおかぶりして、旧来通りマッカーシーを悪として描く映画「グッドナイト&グッドラック」が公開されようとしているのは笑止千万である」。次号を楽しみにしたい。
[ 2006年04月13日 ]
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